1869年からカリフォルニア州にやってきた日系人パイオニアの人達の歴史をお茶の木と一緒に継承し、多くの人に知ってもらうために始めたお茶のプロジェクトです。
"若松ファウンテングローブティーファーム"はかつて戊辰戦争で戦った会津若松藩、薩摩藩からカリフォルニア州にやってきた最初の移民の歴史を讃え、サンタローザにある薩摩藩士 長澤鼎が所有していたワイナリー Fountaingroveにて会津若松の移民が開拓した Wakamatsu Tea and Silk Colony が持参したとされる日本からのお茶の木を植え平和にお互いの歴史を継承しています。
若松ファウンテングローブティーファームはサンフランシスコの北へ1時間ほど行ったサンタローザ市にあるパラダイス リッジ ワイナリー Paradise Ridge Winery の葡萄畑の中にあります。
2020年にナパバレーの畑から移植したお茶の苗木は地元の Sonoma County JACL (American Citizens League) の手によって管理されています。
このお茶園は日系人の歴史を讃えるシンボルとしてお茶の木を育てています。
実際のお茶の製品は長澤鼎の故郷、鹿児島県で栽培されたオーガニックのお茶をブレンドした”Legacies Blend”というグリーンティーを販売いたします。
お茶の収穫から製造はでは全て鹿児島県志布志市にある和香園にお願いしています。
この販売利益は全て地元のコミュニティーに還元されます。
このプロジェクトの背景
このプロジェクトの発起人、馬上直は、ワインのメッカ、ナパでお茶畑を育てようと思い、何軒かのナパの農家を訪れました。その際に、会津若松の移民の人たちが150年前に持ってきたというお茶を育てているマイク フリッツ氏と出会います。彼から若松コロニーの歴史的資料とお茶の木を見せてもらいました。
その後若松コロニーの人たちが日本より持ってきたと言うお茶の木が存在することがわかり、2018年にお茶の木をナパに植えましたが、2020年ナパの農家が売りに出されたため、移植先の候補にあった長澤鼎がかつて所有していた Paradise Ridge Winery に連絡を取り、オーナーのウオルター ビック氏の承諾を得て2020年11月に移植されました。
2022年6月18日:グリンティーフェスティバルと長澤鼎生誕170周年のイベントが行われました。
若松コロニー
1869年に戊辰戦争で敗北した会津若松(現在の福島県)。そこから22名がお茶と絹で米国で生計をたてようとジョン ヘンリー シュネルと言うプロシア人と共にカリフォルニアにやってき、ゴールドヒルところに土地を借り若松コロニーを築きました。
彼は米国初の日本からの移民団です。
そのシュネル夫婦の子守りとして同行したのが伊藤おけいという当時17歳であった女性でした。
カリフォルニはゴールドラッシュで賑わっていました。お茶と桑を植えた若松コロニーの畑は干ばつと川からの水も貰えず植物は壊滅的な状況となり、シュネルは日本へ資金を取りに行くと出ていたきり二度と戻りませんでした。残されたグループは自然と解散、残ったのはおけいと桜井松之助の2名だけでした。
おけいは2年後(1871年)19歳で他界し米国本土で埋葬された初の日本人女性となりました。桜井松之助は15年後私費を貯めおけいの墓石を作りました。この墓石が残っていなければこの若松コロニーのストーリーは消えていました。
*彼らが渡米した翌年の1870年ヘンリーシュネルはサンフランシスコのステイトフェアーにて1000本のお茶の苗木を販売しました。その苗木が何人かの手を経てオークランドにある日系人のドウモトナーサリー(堂本植木店)で育てられて売られおり、馬上直はこのお茶の木の末裔の木とされる木を2017年ナパに植える。
長澤鼎(薩摩藩士)1852年〜1934年(82歳没)
- 1865年:13歳の時に藩命にてイギリスに留学
- 1867年:渡米
- 1875年:カリフォルニア州サンタローザに移りトーマス レイク ハリスとファウンテングローブワイナリーを経営
- 1893年:当時カリフォルニアワイン生産量の10%に当たる21万ガロンを占める大手に成長
- 1900年:長澤鼎はハリス氏より買取単独オーナーになる。その後ファウンテングローブワイナリーをカリフォルニアの一大ワイナリーに育て上げ、カリフォルニアのワイン王とまで呼ばれた。
その後農園の害虫、火災、禁酒法(1920年施行)によりワインを含む酒類ビジネスに大打撃となる。またカリフォルニア州では排日運動など土地所有、購入などが禁止された。 - 現在:パラダイス リッジ ワイナリーとして継承されている。
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このお茶園は若松コロニーの移民史と長澤鼎の歴史を継承し広く伝えること、米国で活躍した日系人パイオニアたちの功績が忘れ去られないようにそして日本の文化、日米の交流をお茶を通じて行うことを目的としています。